村井さんの話より

・ 昔は私の井戸以外に村に井戸がなかった。たぶん、掘っても、金気が多くて飲めなかったんでしょうなあ。そこで、村では、節を抜いた竹をつないで水道菅のようにして、川から水を引いていた。
 どうやって漏れんようにつないだのか、昔の人の技術はたいしたもんですなあ。今も一部残っています。
・ 昔は街道には私の家を含めて3軒しかなかった。
・ 太子井戸はどんなに日照りがつづいても涸れることがなかったし、水位も一定していた。
・ 私の家の名は、村の名前の由来になった井戸があるから、「村井」と付けたんです。
・ 太子井戸のあるところは以前1段低い畑でした。コンクリートの井戸枠を積んで、地上げしました。今は駐車場に使っているが、井戸がある為使いにくい。
 聖徳太子様という二度と現れん立派な方の由緒ある井戸で、先祖から受け継いでいるのでどうしようもない。
・ 昔、寺は川向かいの村にはあったが、我々の村には寺が無かった。あるとき旅の僧が来て、村に仮住まいした。そこで私たち先祖が「どうか我々の村に寺を作って欲しい」と願い出て、銀子を出し合って、寺を建てた。それが善福寺です。
・ 梅川・忠兵衛の忠兵衛の実家は、今の新口の駅前にあった。梅川と忠兵衛は新口の中道と呼んでいる南北の道を通って南へ逃げたそうな。
・ 善福寺の先代のご住職は大変物知りで、色々な人とも交際なされた方であった。しかし、その先代のご住職から、「お前の家の井戸は太子井戸ゆうてな、聖徳太子様が水を飲まれた大切な井戸やで。」とか仰ったことは一言も無かったですなー。とのこと。
 (岡本精一氏の本の話との整合性を考えると、どうも、寺伝には載っていたが、井戸がどこにあるのかは書いてなかったようで、寺の方もどこにその井戸があるのかご存じなかったようである。)