黒駒と調子丸

 太子の愛馬で、甲斐の国から秦河勝が探し求めてきて、推古6年(598年)に献上した駿馬で、伝説では太子を乗せ空中を駆け、富士山を飛び越え、国中を巡ったとのことです。 またその黒駒の御者が調子丸(あるいは調子麿呂)で、百済から来たと云われています。この調子丸の子孫が僧侶となり、鎌倉時代にはその子孫である法隆寺僧の顕真が「太子伝私記」を著し、太子の詳細が伝わっているらしい。 法隆寺には、太子を祭る聖霊院横に馬屋と称して、その像を安置している堂があります。また斑鳩の東には、黒駒と調子丸を葬ったと伝えられる駒塚古墳と調子丸塚古墳があります。


橘寺にある黒駒の像

法隆寺・聖霊院横の厩と称する建物に置かれた調子丸と黒駒の像