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GPS考古学序論筋違道の謎を解く第0章 序論第1章 筋違道入門若草伽藍の礎石の話第2章 筋違道のなぞ第3章 GPSデータの解析第4章 安堵町以北の解明第5章 安堵道と三宅道の接続の解明第6章 多以南の道の解明New! 第7章 上宮への道(磐余道)第8章 斑鳩宮への道 |
太子道(筋違道・すじかいみち・日本最古の官道)の謎を解く−−−筋違道の研究第3章 GPSでの筋違道の計測とその分析 いよいよ、本題のGPSでの筋違道の測定とその結果を紹介いたします。測定は三宅町から田原本町多までの筋違道(広義の三宅道)と安堵町の筋違道(安堵道)で行いました。 それぞれの太子道とも、明らかに乱れている個所がありますので、その個所を除いた直線部分と思われる個所を主に測定いたしました。 GPSの誤差を少なくするため、同一地点を重複測定してその平均値を用いました。 またデータ処理は、実験値のデータ処理で一般的に使われている「最小2乗法」で平均的な直線を見つけ出すことにしました。理系ではグラフ化の際に通常使う方法ですが、考古学では余り用いられていないのかも知れません。 経度値Y を緯度値X の関数と考えて道の平均的直線式 Y=aX +b を求めることにします。 「最小2乗法」の原理と詳細は省略します。(適当な本かネットで調べてください。) 1. 広義の三宅道三宅町屏風から田原本町多まで、一か所に集中しないよう出来るだけ均等に測定地を選びました。 また、同一地点を2度測定し、その平均値をデータとして使っています。 測定値の緯度34°経度135°は共通ですので省き、緯度、経度とも分・秒部分を分単位の小数で表しています。 Y は最小2乗法で求めた平均直線上での(緯度Xにおける)経度の値です。 偏差は経度の実測値の平均直線からのずれを表す。+偏差は東へ、−偏差は西へのずれを示す。
最小2乗法での傾きは a=−0.3844 Y 切片 b=59.7283 との結果が得られました。 このあたりの緯度では緯度1度の長さと経度1度の長さの比 経度/緯度 を0.8273とすると、 道は真北から約17.6°西に振った向きに傾いているという結果になります。 このa,b の値から各地点のYの値を計算したのが、表の直線値(分単位)で、測定値Y’とY との経度差を秒単位に直したのが偏差(秒)です。 さらに分かりやすくメートル単位に直したのが色を付けた偏差(m)です。 (+は東に、−は西に振れていることを表します。) これを見ると道は直線から、かなり左右(東西)に振れていることが分かりますが、概ね±20m内に収まっています。 長い三宅道ですが、直線から外れたかと思うと、また反対に振れ、元に戻る。そういうことを繰り返しながら、ふしぎなことに大きく一方の向きに曲がって行くということがありません。 全体としては直線に沿っていることが分かります。 実は私は最初、最小2乗法で区間毎にそれぞれ傾きを出していたのですが、それらは各区間でかなり異なっていました。これをどう整理したらよいのか悩んでいるうち、いっそのこと全体をまとめて計算してみようと思い立ち、上の結果を得たわけです。 これは一体どう云うことを意味しているのでしょうか。この考察を例のホームズ君との対話形式で行ってみたいと思います。 ホームズ君との対話ワトソン: やあ、ホームズ君いいところで遭ったよ。ホームズ: あっ、ワトソン先生、こんなところにどうして。 ワトソン: それはどうでもいい。いま頭を悩ましている問題があるんだが、一緒に考えてくれないか。 ・・・こう言って、ワトソンはホームズに上述の問題を説明した。 ホームズ: ウーンなるほど。太子道は僕も関心があって、以前歩いたこともあるんです。真っすぐに見えるところも多いんですが、このデータをみると、そこも一方に偏ったりしていたんですね。 ワトソン: そうだね。これも不思議だね。 ホームズ: うーん、・・やはり僕は昔のことなので、測量技術も発達していなかっでしょうから、作っていくうち、どうしても横にずれたりしたんじゃないかなと思いますが。 ワトソン: そうかな?それなら、次第に道の向きが変わって道が全体として曲がって行くんじゃあないかな。ところが、全体としては直線に沿っているのが分かるだろう。 ホームズ: 曲がっているのに気付くと、それを修正しながら作っていったのでは。 ワトソン: そんなことが出来るなら、はじめから真っすぐに作れるだろう。 ホームズ: それは、そうですが。・・偶然に結果として直線になったのかな。うーん。 ワトソン: ちょっと非科学的だな。君も理系人間だ。もっと科学的に考えてみよう。 ホームズ: どう云うことですか? ワトソン: 科学の方法論ではまず仮説を立てて、それが正しいか検証することだったね。 ホームズ: そうですが。・・しかし、今の場合どんな仮説を立てたらいいんだろう?・・皆目分からないなあ。 ワトソン: それじゃー、ヒントを与えよう。 ホームズ: えっ、ヒント? もしかして先生はすでに分かって居られるんですか。 ワトソン: アハハ、そうかも知れんな。・・しかし、頭を使うのも大事だ。そう云わずに考えてくれたまえ。ヒントはこの前に出したこの写真だ。ここは太子道がいったん途切れる所の田圃を発掘した写真で、太子道の側溝が発見されている。場所は田原本町宮古とその南の保津との境だ。 ホームズ: きれいに背後に直線的な太子道が見えますね。えーと、ここは表でいくと、宮古の南端だから、直線より西へ10m以上ずれているわけか。失礼ですが先生のデータは本当に正しいんですか。 ワトソン: 確かに、わしも最初そう目を疑ったが。間違いはない。 ホームズ: 余計に分からなくなってきました。もっとヒントを下さい。 ワトソン: それじゃ、次はこの写真だ。 ホームズ: 冗談はやめて下さい。・・・・うーんうん・・・あっ、分かりました。なるほどね。 ワトソン: さすがは、ホームズ君、もう分かったのかい。 ホームズ: ええ、分かりましたよ。今の幼稚園の名前の「大道」で気付いたんですが、太子道の幅は今よりずっと広かったですね。 ワトソン: そう!そうらしいよ。以前に多の古老から聞いたのだが、以前に太子道の延長線の田圃を発掘したとき、幅30m近くもある道路跡が見つかったということだ。また、橿原考古学研究所の方にお聞きすると別の場所では、22mの道幅だったそうだ。この部分だけから推論するのに無理があるとしても、かなり広い道だったことは確かだ。 ホームズ: 残っている今の太子道は幅約5〜6mだから、元の道のほんの一部に過ぎない。宮古の写真も西側溝のすぐそばの部分だけが現在の道として残ったので、西に偏寄っているんですね。 ワトソン: 多分そう云うことだろうね。今の道が西や東に振れている原因の多くは、そういうことだろうと思うよ。それに加えて後世に道の作り替えもされ、さら変形したことだろう。 ホームズ: なるほどね。すると、太子の時代には、非常に広い真っすぐな直線道路が作られていた、ということになりますね。そこを太子が馬で駆けて行かれた。想像するだけでも興奮しますよね。 ワトソン: ほんとうだね。 ホームズ: こんなデータだけから、そんなことが分かるなんて不思議ですね。 ワトソン: そうだろー。実はわしも最初は気が付かなかった。初めは、屏風だけ、伴堂だけ、・・という具合にそれぞれ傾きを調べていたのだが、みんな傾きがばらばらだ。どうこれを整理しようかと悩んでいた。あるとき、面倒なので全部ひっくるめて傾きを出してみようと思い立ち、計算してびっくりした訳だ。「木を見て森を見ず」とはまさにこの事だね。 ホームズ: 面白いですね。しかしなぜ、そんなに広い道が必要だったんでしょうね。 ワトソン: それは、わしの第5章を読めばわかるようになる。今は謎にしておこう。 ホームズ: ヘェー、それは楽しみだなぁ。・・ところで、ついでにお聞きしたいのですが。 ワトソン: 何かね。言っとくが、わしが何でも分かっていると思ったら大間違いだよ。 ホームズ: 先ほどのデータで黒田の辺りで大きく+(東)へずれているようにみえるのですが。 ワトソン: よく気が付いたね。 ここにある孝霊神社は元々北西にある法楽寺の境内にあったのだが、明治の神仏分離令により、今ある場所に移築されたんだ。 そのとき筋違道を東へずらしたんだ。 ホームズ: へー、ちゃんと訳があったんですね。 も一つ、先ほどの表で北の端、屏風で大きくしかも段々と西に振れていってるようなんですが、もしかして西の方に道が向きを変えていた可能性はないのでしょうか。 ワトソン: ああ、そのことか。 わしも、気になったので色々調べて、こんな終戦直後の航空写真を見つけたんだ。その一部に屏風以北の太子道が写っている。太子道が寺川に達するところの写真だが、どうも元の太子道は現在の道の東側を通っていたように見える。東の田圃中に水路や小道が見えるが、どうもそれらしい。だから、太子道は曲がらず直進していたと考えるべきだろう。これは第5章の話題にも関係する。 屏風杵築神社以北 ホームズ: 分かりました。今日も色々勉強になりました。僅かなデータで驚くべきことまで分かるのは不思議ですね。 ワトソン: まったくその通り。わしはGPSで太子道を調べてびっくりすることの連続だよ。今の話はそのほんの序の口にしか過ぎない。あとの話も面白いから、期待して読んでくれたまえ。 ホームズ: へぇー、そうですか。楽しみにしています。今日はどうも有難うございました。 2. 安堵道安堵町の太子道についても同様の測定を行いました。 安堵町の太子道の内、JR線から南、安堵町水道局の手前までの道と飽波神社から南の安堵小学校前の道に直線性が残っている。 これらの直線部を選んで測定を行った。 広義の三宅道に比べ、長さが短いため正確を期すため、測定点の数も増やし、その平均値をデータとした。
結果は 傾き a=−0.4706、 Y 軸切片 b=62.4257 道の傾きは角度に直すと、 北から西へ21.26°振った向きである。 西偏の角度は三宅道の約17.6°より大きいことが分かります。 また道の直線部からの偏差は、三宅道より小さいことが分かります。 (道幅が三宅道より狭かったのかも知れない。) 安堵道は距離が短いために、西偏角度の正確さに不安があるが、 ・第4章の補完計測(斑鳩の南横大路と正確に直交すること)と ・第5章で紹介する中窪田の道痕跡の発見から、この値はかなり信頼できるものであることが後ほど判明します。 ○ このページのトップへ ○ 第4章へ |