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GPS考古学序論

GPS考古学


 退職後、健康のためのウォーキングを兼ねて、古い街道や近くの山歩きをしている。
 以前から携帯用のGPSがあることを知っていたので、便利だと思いインターネットで調べて購入しました。
 最近では、カーナビだけではなく、無線でインターネットにつながっている携帯スマートフォンやパソコンにまでGPSが搭載されています。アプリによっては、そのネット・サーバーが勝手に居場所を監視できるわけですから、気持ちのよいものではありません。 しかも、使用者本人が場所の緯度、経度を数値表示させるのは簡単ではないそうですから、使用者のためにに作られたGPSとは言えません。その点、ハンディGPSは無線やネットに繋がっておらず安全です。
 買ったのは米国Garmin社のetrex’Hというポピュラーな機種です。 このシリーズには、カラー液晶付で地図表示できる上位機種がありますが、値段が高いだけで、基本性能には余り差はありません。緯度、経度だけ正確に分かればよいので安価な基本モデルを選びました。

  古墳の方位調査 (初期巨大古墳の方位相関性について)

 GPS購入の主目的は山歩き以外にあります。私の住む奈良盆地南部の天理市、桜井市にまたがって存在する巨大古墳群の向きを正確に知りたいと常々考えていました。なぜなら地図で見て、これら巨大古墳群の向きにどうも相関がありそうだと直観していたからです。しかし色々な文献を調べてもそのことを指摘しているものが見つかりません。そこで自分で古墳の向きをGPSを使って調べてみようと思い立ったわけです。
 昨年の春から夏にかけて、箸墓古墳を手始めに、崇神天皇稜、景行天皇稜、桜井茶臼山古墳、そして奈良市尼が辻にある垂仁天皇稜をGPSを持って調査しました。方法は図書館にある各古墳の測量図を参考に、その図でいくつかの識別出来そうな目印となるポイントを決め、その地点の緯度、経度を測定して行くだけです。あとは測量データを元に、測量図に緯線、経線を推定して書き込みます。測定値は一応最高精度で緯度、経度の0.1秒(約3m)とありますが、どこまで信頼できるかは正直よく分かりません。とにかく多数の測定点から、基準となる経線を割り出しました。これを元に墳丘軸の方位を出してみたわけです。
・・・結果、茶臼山古墳、箸墓古墳、崇神天皇稜の3古墳に私自身も驚くような相関関係があることを発見しました。なぜ今まで誰もこんな単純な方位相関があるのに気付かなかったのか、逆に不思議でなりません。勿論私のGPSの精度はそれ程高くありませんので、こんなにぴったり一致する結果が得られたのは誤差による偶然の所産だとは思いますが、これら3つはほぼ同時代につくられた古墳であることを考えると偶然の所産と簡単に片づけて済されないように思います。つまり古墳造築時にそのように意図して造られたと考える方が自然です。
 これを元に敷衍した私の仮説も述べておきましたのでお読み下さい。

       「初期巨大古墳の方位規則性と王位継承仮説」

 太子道・筋違道の研究 (日本最古の官道の全容が明らかに)   New!

 私の住む奈良県には、聖徳太子が飛鳥と斑鳩宮を日々通われたと伝えられる盆地を斜めに縦断する「筋違道」と呼ばれる古道があります。しかし、現存するのはその一部で、ほとんどは不明です。 最初は古道ウォーキングの目的で散策していましたが、次第に興味を覚え、文献等で詳しく調べようとしましたが、筋違道についての本格的な研究は殆どなされていないことに気付きました。 直線道ですから、GPSで調べるには最適のテーマだと考え、現存する道の正確な測定を手始めに、南から北まで実地調査を開始しました。
 調べるうちに、私の予想を覆す様々な事実が分かって来ました。 また、新たな謎も次々生まれて、私をその謎解きに夢中にさせるものでした。新たな謎が生まれる度に現地に赴き、また新たな仮説を立てる、それを検証するために現地へ行く、データが怪しいと再測定に現地へ行く、...の繰り返しです。そして、その度に新しい発見が生まれ、その展開は、まるでドラマか推理小説の世界に迷い込んだような錯覚を覚えさせるものでした。

 その結果、太子道は壮大な計画に基づいて造られ、驚くほど直線性のある古代の大道日本最古の官道)であったことが明らかになりました。 北は斑鳩から南は飛鳥の甘樫丘の麓また聖徳太子の故郷「上宮」まで、GPSのお蔭で太子道が如何に続いていたのかを明瞭に知るに至りました。この結果は単なる憶測ではありません。太子道の直線性のお蔭でほとんど任意性の入る余地のない結論です。
 結論は単純ですが、それに至った経緯と推理は若干込み入っています。しかし、謎解きとしては大変面白いものです。その一端を知ってもらうため、論文調の記述を最小限にして対話形式をできるだけ取り入れました。(対話形式はプラトンやガリレオが用いた古い論述形式でもあります。誤解のないように。)
  また、歴史について素人の私にも、筋違道の研究を通して太子の時代が少し見えてきたように思います。それほど、この筋違道研究は歴史や太子研究に密接に結び付くものです。これからは筋違道をその視点からながめる歴史家が増えることを期待したいと思います。


    ・ 序論
    ・ 第1章  筋違道入門
    ・ 若草伽藍の礎石の話
    ・ 第2章  筋違道のなぞ
    ・ 第3章  GPSデータの数値的分析
    ・ 第4章  安堵以北の謎を解明
    ・ 第5章  太子はどこで大和川を渡られたか。
    ・ 第6章  飛鳥への道の解明     ← ( ’18.4 更新 )

    ・ 第7章  上宮への道の解明  New!  (’14.12.16 )

          「筋違道のなぞを解く」 序論へ   

New!「朱の王国」(邪馬台国)と神武(崇神)の大和侵攻

 初期3古墳の方位相関から、どのようなことが言えるのか。 科学的計測から離れて、大胆な推論と 謎解きで、古代大和の歴史を解き明かす。

 ・なぜ、辺鄙な大和の地に古代王権が成立したのか。
 ・なぜ、熊野大迂回という嘘を主張しなければならなかったのか。?
 ・なぜ、神武は最初に宇陀を占拠したのか。
 ・神武(崇神)の大和攻撃の痕跡
 ・邪馬台国は神武(崇神)によって滅ぼされたのか?
 ・桜井茶臼山古墳は卑弥呼共立前の男王の墓か。

 Watsonが満を持して書く 「大和誕生物語」です。

第1章 朱との出会い
第2章 神武伝説の地を訪ねる
第3章 神武伝説の謎を解く
 別稿 住吉大社の埴使
第4章 神武(崇神)の宇陀占領と天神山古墳、黒塚古墳
第5章 神武(崇神)と邪馬台国の2女王の墓、桜井茶臼山古墳の被葬者
第6章 武埴安彦の反乱と崇神が初代天皇である証拠
第7章 壱与と物部の謎
第8章 天照の復興と女帝
            第1章 へ

 箸墓古墳と夏至の太陽 (古墳の方位・続論)   New!

 夏至の太陽の位置計算の結果、箸墓古墳の軸線が夏至の朝に穴師山から昇る日出の方向へ正確に向いていることが判明した。 被葬者が生前に「夏至の祭」をその場所で主宰していたのでは。 
また、行燈山(伝・崇神天皇陵)と黒塚古墳、巻向山の関係についての新たな事実が明らかになった。

            箸墓古墳と夏至の太陽 へ 

  GPS考古学のための解析幾何学    New!

 GPSの購入や計測は容易ですが、GPSで考古学調査を実践するためには、座標幾何(解析幾何)の知識が不可欠です。 私が今まで使ってきた基礎的な式のいくつかを紹介します。

           GPS考古学のための解析幾何学 へ 


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初期巨大古墳の方位規則性と王位継承仮説


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太子道・筋違道の研究


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朱の王国(邪馬台国)と神武(崇神)の大和侵攻


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箸墓古墳と夏至の太陽


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GPS考古学のための解析幾何学



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