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慣性力についての対話 (1)”慣性力は見かけの力ではない”・続論


 対話が冗長に思われる方は、適宜とばし読みして下さい。重要な論旨は後半部に
 また、要約は”物理教育のページの解題”にあります。

ホームズ: ワトソン先生、こんにちは。
ワトソン: やあ、ホームズ君、久しぶりだね、こんなところで会おうとは。どうしてる?
ホームズ: 今、大学に通っています。高校を卒業してから先生にお会いするのは、初めてですね。
 今日は、天気が良いので、ぶらっと散歩がてら公園に来たところです。
ワトソン: そうか。君も大学生か。
ホームズ: ところで、最近、先生がネットにホーム・ページを作られたのをうわさで聞いて、読ませていただきました。
ワトソン: ああ、読んでくれたのか、ありがたい。まだアクセス数が少なくて困っていたところだ。
ホームズ: その、慣性力のところで、まだ腑に落ちない点があるのですが。
ワトソン: 遠慮なく、何でも聞いてくれ。
ホームズ: 先生は「慣性力はみかけの力ではない」と言われているのですが、やはり、「みかけの力」でもあるように思うのです。
 例えば、メリーゴランドのように回転する場所にいる人がボールをまっすぐ前方に投げたとすると、ボールはまっすぐに飛んで行かずに曲がって運動するように見えますね。
ワトソン: そうだね。しかし、重力で下に曲がることを言っているのではないだろうね。
ホームズ: 違いますよ。勿論、今重力の影響がないと考えての話ですよ。横に曲がって曲線を描くように飛んでいくように見えるでしょう。
ワトソン: ああ、そう見えるだろうね。
ホームズ: ボールはただ力を受けずにまっすぐ進んでいるにも拘らず、観測者が回転しているために、自分に対して相対的にボールが曲がって運動しているように見えるだけですよね。
ワトソン: その通りだね。
ホームズ: それを円運動するつまり加速度系にいる観測者から見ると、ボールに遠心力やコリオリの力のような慣性力が働くように見えるから、曲がって運動するということですね。 ( コリオリの力については、別ページ「コリオリの力について」を参照 )
ワトソン: そういうことだね。
ホームズ: しかし、本当はそんな力なんて働いていないでしょう。ボールはただまっすぐ飛んでいるだけなんだから。
ワトソン: その通りだ。
ホームズ: だったら、遠心力とかコリオリの力とかはあくまで「見かけの力」であって、現実の力でないと言えるのではないでしょうか。先生のページでは、「慣性力は見かけの力ではない。現実に存在する力だ」と主張されていましたが。
ワトソン: うーん、なるほど。参ったな。確かに、ボールにはそんな力は働いていない。・・・
しばらく考えてさせてくれ。・・・
 うん、こう考えたらどうだろうか。
ホームズ: はい、早く聞かせてください。
ワトソン: 話はこうだ。慣性力同士打ち消し合って、慣性力は完全に打ち消されるので、現実の力としても存在しないのだと。
ホームズ: どういうことですか?
ワトソン: 加速度系である回転系で話をしよう。ボールには、2つの慣性力が逆向きに働くことになる。
1つは遠心力やコリオリ力のような力、これが運動方程式の外力に相当する。
 もう1つは私の慣性力のページで紹介した慣性抗力に相当する慣性力、つまり加速度系から見るとボールは加速度運動しているように見えるからその加速度aと逆向きに働く、 F’ =−maの慣性力だ。
 この2つの力はどちらも同じ慣性力で大きさが等しく向きは逆だから、真の意味で打ち消し合い、力は消滅する。結局ボールには全く慣性力は働いていないことになる。
 一般の外力の場合にも慣性抗力と外力がつり合うが、2つは異質な力のために結果としてつり合うだけなのだが、今の場合には同じ種類の慣性力同士であるので、完全な意味で跡形なく消えてしまう。
 ちょうど重力中での自由落下の場合の無重力状態と同様、実質的に力は消滅するというわけだ。
ホームズ: なるほど、なんとなく分かったように思います。今の場合、ボールには実際にはまったく慣性力は働いていないということになるわけですね。
ワトソン: そういうことだね。
ホームズ: うーん、なるほど。何となく、ワトソン先生のおしゃっている「慣性力」の意味が分かったように思いますが。・・・しかし、・・・

慣性力には反作用がある

ワトソン:  まだ何か腑に落ちない点があるのかな。
ホームズ: ええ、話を蒸し返すことになりますが、今の例で、慣性力として、つまり先生の言われる「現実の力」としても働いていないと言うことは、 やはり加速度系での遠心力やコリオリ力は現実には存在しない、まさに「みかけの力」だと言っていることになりませんか。
ワトソン: うーん、そうか、そうなるか。
ホームズ: もしかして、先生の言われる「慣性力」とは「加速度系」での議論に登場するそれではなく、「慣性系」で加速度運動する物体に働く「慣性力」のことではないですか。
ワトソン: うん、そうだ。その通りだよ。
 わしが、曖昧だった点に気がついて、よく指摘してくれた。さすがは、ホームズ君だけある。
 君が今挙げた例は、慣性系で見ると、単に外力を受けずに等速運動をしている物体を、回転系(加速度系)の観測者から眺めた場合の例だから、慣性系では加速度ゼロなので、わしの云う”慣性力”が働いていない。つまり”みかけの力”だと云えるわけだ。
 それじゃ、慣性系で見ても、加速度運動している場合はどうなるかね。
ホームズ:  回転系は話が複雑になるので、単純な例、先生が「慣性力の標準的説明」のページであげた「人が地球を蹴って走る場合」を例にあげると、慣性系での本当の図はこうなります。(左図) ただし地球の回転は無視。
  
         慣性系での図                               加速度系での図

人の蹴った力を −f とすると、その反作用の  の前向きの力を人は受けるので、
加速度は a = f/m ですから、慣性力は後ろ向き −ma すなわち −m×(f/m) = −f になります。
地球の方は −f で 蹴られるので、同様の計算( が  に代わるだけ)で、前向き慣性力 f が働くことになります。 
ワトソン: そうだな、2つの慣性力は、大きさが等しく向きは逆、つまり互いに、作用・反作用の関係が成り立つ。これは、慣性力本物の力の証拠でもある。
ホームズ: ところが、加速する人を基準にした”加速度系”では、右図のように、地球は −Ma の慣性力・・・おっと間違った・・「みかけの力」を受けるようにみえる。  こんな大きな力が働くはずはないですね。
ワトソン: その通り。この見かけの力で、地球は後ろに加速度 −a で加速すると言うんだよ。 これでつじつまが合うと云う、ばかげた話だよ。  それに、この力に対応する反作用はない

 遠心力はみかけの力ではない 

ホームズ: ところで、遠心力はどうなのでしょう。 よく遠心力の議論で、左下の図のように、糸をつけて円運動させている物体の糸を切ると、円の半径方向に飛んで行かず、 接線方向に飛んで行くので、遠心力は実際には存在せず、”みかけの力”だ。と云う主張をよく耳にするのですが。
ワトソン: 子供だましのような話だな。 よく考えてご覧、糸を切った瞬間から、糸の張力は無くなるのだから、当然、その慣性抗力である遠心力も同時に無くなる訳で、 2つの力が共にゼロとなるから、慣性の法則により、その時点の運動の向き、つまり接線方向に等速運動するのは当然だよ。

     
          糸を切ると                           回転するドラム内の物体

  円運動する物体は向心力によって、その速度ベクトルの向きを、円の中心方向へ絶えず変化させられている。 その変化(=加速度)に逆らって生じる慣性抗力(=慣性力)が”遠心力”であり、”本物の力”だ。
 本当に”遠心力が働いているのか、否か”を検証するのは、物体は力を受けると、力のため多少とも歪むわけで、それを検出すればよい。右の図のように、今度は、回転するドラム内にボールを入れて、高速回転させると、どうなるだろう。
 実験せずとも、日常、脱水式洗濯機で経験しているので、すぐ分かるだろう。
ホームズ: なるほど、洗濯物は、脱水されると、ペシャンコになりますから、遠心力は実在するわけだ。
当然といえば、当然の話ですね。
 もう1つ質問ですが、それなら、遠心力にも、反作用があるはずですね。それは向心力のことでしょうか。
ワトソン: いや、そう解釈できないこともないが、”慣性力”の反作用は、やはり同じく”慣性力”であるべきだ。
例として、惑星運動を考えよう。万有引力で、下の図のように、太陽のように重い星の周りを軽い星が円を描いて回って場合を考えよう。
いくら重い星と云えども、惑星からの引力で、動かされ、ふらふらと動かされる。このとき、動かない(あるいは等速運動する)のは、太陽ではなく、太陽と惑星間の重心、すなわち、太陽と惑星を結ぶ線分を、それらの質量の逆比に内分する点だ。
これは、運動量保存則で証明できる話だ。
下の図で、太陽、惑星の質量を、  、  重心からの距離を、 R 、 とすると、
  :  =  :     つまり  M・R = m・r 

         
                       図 4

 回転の角速度を ω (共通)とすると 、遠心力はそれぞれ M・R・ω 、 m・r・ω  
これは、上の  M・R = m・r  を使うと等しいことが分かる。
結局、この2つの遠心力は作用・反作用の関係にある2力だ。
つまり、”遠心力には反作用がなく、偽の力である”と云うのは全く根拠のない主張だよ。
ホームズ: なるほど。洗濯物を脱水する最中、洗濯機がガタガタ揺れるのは、その反作用のせいか。
ワトソン: たぶん、そうだろう。またその刺激で、洗濯機が共振して、振動が増幅されることもあるだろうね。

  すべての慣性力には反作用がある 

ホームズ: なるほどね。  それでは、どんな場合でも慣性力には反作用があると云えるのでしょうか。
ワトソン: そうだよ、ちょっと考えてごらん。一般的に云って、物体Aが物体Bからの外力Fを受けて、加速させられるとき、Aには慣性抗力、すなわちその加速度に対する逆向きの慣性力(−F)が発生するが、そのときBは必ず自分の出した力の反作用(−F)を受けるから、Bも逆向きに加速させられる(つまりAから反動を受ける)ので、Bに生じる慣性力はちょうど+Fとなる。ちょっと計算すればわかるはずだ。
ホームズ: うーん、前の慣性系で見た地球をけって運動する例と同じように考えたらよいわけですね。
ワトソン: その通りだ。これは、運動量保存則からも保障されることだ。
ホームズ: どう云うことですか。
ワトソン: Aの運動量を11、 Bの運動量を22 と置くと、運動量の和は保存するから、
   1122=一定、・・・・・・・@式
これを時間微分すれば、加速度をで表すと、 1122=0、
つまり −11= −(−22 ) ・・・・・・・A式
これはA、Bの慣性力が互いに逆向きで大きさが等しいことを表している。
ホームズ: なるほど、本物の慣性力には反作用があることは、運動量保存則で保障されるのか。 
ワトソン: 別の表現をすれば、慣性力は、通常の物体間の相互作用力の”対偶”(大きさが等しく反対向きの力)として現れるから、相互作用力間で”作用・反作用の法則”が成り立てば、その対偶である慣性力の間でも”作用・反作用の法則”が成り立つ訳だ。(たとえば 図 4 参照)
 さらに云えば、”慣性力間の作用・反作用の法則”とは、結局、”運動量保存則”の言い直しにすぎない。 (上の A式から @式 を導くことに相当する。)
ホームズ: うーん..そうか。...なるほどね。

みかけの力と慣性力の区別 

ホームズ:  ところで、「みかけの力」 と本物の慣性力はどう区別すれば良いのですか。
ワトソン: 例をあげよう。図のように、電車の車内にレールを敷き、その上にネコを乗せた台車を置いたとする。また、レールと台車の間の摩擦はきわめて小さいと仮定するよ。電車が加速度で急発進したら、どうだろう。

  
  
                        図 5

当然、図のうしろに座っている乗客は地面に対して、前向き加速度 + で加速しているから、後ろ向きにーma の本物の力である「慣性力」を感じるね。
ホームズ: 前ページの先生の説明に従うと、そうなりますね。
ワトソン: 台車の方はどうだ。
ホームズ: たぶん、摩擦がないなら後ろ向きに、−a の加速度で動くでしょう。怖い実験ですね。
ワトソン: そのとき、乗客はなぜ台車が後ろ向きに加速したのか、理由をどう説明するだろう。
ホームズ: たぶん、後ろ向きの力が働いたから、と説明するはずです。
ワトソン: この力は、わしの言う「慣性力」か「みかけの力」か、どっちかね。答えは”ネコ”に聞くとよい。
ホームズ: うーん、なるほど。ネコはスムーズに動く台車に乗っているだけだから、地上に対して”静止”しているのと同じだから、力を感じないはずですね。つまり「みかけの力」と云うことになります。
ワトソン: だから、簡単だよ。地面(慣性系)に対して実際に加速しているなら、慣性力を受けるし、加速していないなら、みかけの力ということになる。 今の例で、レールと台車の間に摩擦があれば、その力の所為で、台車は地面に対して、加速度 0 ではなく 前向き加速度 a’ ( <a ) で運動するから、それに相当する本物の「慣性力 」 −ma’ を受けるだけだよ。
ホームズ: なるほど。この場合はネコも若干の慣性力を後ろ向きに感じることになるのか。
ワトソン: よし、もっとはっきり言おう。
 そもそも、加速度系とは”数学的なトリック”で、そこで使われるのが「みかけの力」なんだよ。
 それに対して、慣性力の方は、慣性系での運動方程式 F−ma=0 を 外力  と 加速された物体に生じる逆向きの力(慣性力−ma の釣り合いの式だと解釈するとき 登場するもので、これは、わしがくどくど述べたように真の力だ。
 ただこの慣性力は「ニュートン力学」では無視する「約束」になっている。あたかも「仮想の力」であるかのようにね。
 だから、たまたまどちらも同じ加速運動に登場する、「仮想の力」だとして、混同され易いのだと。
 こう考えたら、どうかな。
ホームズ: なるほどね。
 ただ、今先生の言われた”数学的トリック”と云う言葉が気になります。 もう少し説明してもらえませんか。

加速度系と云う虚構 

ワトソン: 面白くなってきたぞ。今度は、ホームズ君に考えてもらおう。
ホームズ: えっ、ぼくが考えるんですか。
ワトソン: そうだ、わしの質問に答えてくれ。
 ものごとを深く考えるときは、何時でも、議論の出発点、起源に遡って考えるのが基本だ。 そもそも「みかけの力」の議論の出発点は何だった?
ホームズ: えーと、運動を「慣性系」ではなく、「加速度系」でながめたときに現れてくる「仮想的な力」でしたね。
ワトソン: その通りだ。仮に「慣性系」から見て、加速度 0 で運動する場所を「加速度系」の基準に採ろう。今、ある運動する物体を「慣性系」から見た加速度を  、「加速度系」から見た加速度を a’とする(すべて太字はベクトル)。
 これらの関係は? ホームズ君。
ホームズ: えーと、 = a’+ 0  です。
ワトソン: そうだね。よく、議論される回転系での関係式で言うと、
    = a’ + 2ω×v + ω×ω×r
ここで ω は静止系からみた回転系の角速度、  は回転系から見た物体の速度、  は物体の位置ベクトル(これはどちらから見ても同じ)、 × はベクトル積を表す、だ。  これらの説明は力学の教科書に載っている。( 回転系の コリオリの力 と 遠心力の式 の導出方 については 別ページ「コリオリの力について」を参照。
ホームズ: そう、大学の力学の授業で習いましたが、難しかったのを憶えています。
ワトソン: とにかく、
    = a’+ 0        (1)
 だ。
ホームズ: その方が分かり易いです。
ワトソン: そこで、「みかけの力」はどのように登場するのかな。
ホームズ: 上の式の両辺に物体の質量mをかけて
   m = ma’ + m0     (2)
ここで「慣性系」での運動方程式  = m を使うと
    = ma’ + m0      (3)
移項して、
   ma’ =  − m0      (4)
これを「加速度系」の運動方程式とみなすと −m0 が「みかけの力」として登場します。
ワトソン: そうだね。回転系では、 −2mω×v −mω×ω×r) となって、最初の項をコリオリ力、2番目の項を遠心力と呼んだわけだ。
ホームズ: そうです。
ワトソン: そこでだ、問題になるのは(4)式の左辺に登場する ma’ だ。これは一体何ものかね。
ホームズ: 先生の言われている意味が分かりません。
ワトソン: 「加速度系」からみた「みかけの加速度」に物体の質量をかけた量だね。
ホームズ: そうです。
ワトソン: そんな量にどんな物理的意味があるというのだ。
ホームズ: えっ! ・・・そう言われれば・・・・。
ワトソン: 「慣性系」での加速度は、慣性運動からのずれの大きさを評価するという意味でも、あるいは真の「慣性力」に関係する量として、物理量として重要な意味をもつが、「みかけの加速度」は何の意味もない。 
 実際任意の値をそれに設定することが可能だ。
ホームズ: そうですね。(1)式の 0 にどんな値を設定してもかまわないわけですからね。
ワトソン: 付け加えて言えば、ガリレオの相対性は「等速度の値の任意性」であって、加速度については同様な「加速度の相対性」を考えることはできない。 いくら、「みかけの力」を付け加えてもだ。
 ただし例外がある。それは a’ =  の場合だ。その場合には、(4)式で
    =  − m0
 となるが、 この場合、物体は慣性系から見て、 0 で実際に加速しているので、つまり、外力  と −m0 とがつりあっている式、つまり、ダランベールの原理の式となり、「みかけの力」は「慣性力」とみなしてよいことになる。
ホームズ: うーん、例えば上の「人が地球をける場合」の2番目の図で登場する「地球の受けるみかけの力」は、地球の「みかけの加速度」 a’ は  でないから、物理的意味のない量なのですね。そう言われれば地球にそんな大きな力が働くなんてありえないですね。
ワトソン: そうなんだ。「力」と名づけられるには、「力」としての物理的実体がなければ、そう呼べないはずなので、あくまで「みかけの」という形容詞が付くわけだ。
ホームズ: よく分かりました。さらに一つ質問していいですか。 先生、それじゃー、なぜ物理的な意味不明の ma’ を含んだ(4)の式が使われたりするのでしょうか。
ワトソン: 加速度系(特に自転する地球上)から見た物体のみかけの運動を説明したり、計算するのに便利だという理由からだろう。
 ....それ以外は.... 人を煙に巻くのに使えるかな。
ホームズ: えっ。
ワトソン:  これからの議論で、段々とその意味が分かってくると思うよ。

 トリックのたね明かし 

ワトソン: ここで、重要なことを述べよう。
 なぜ「ニュートン力学」において、加速度系ではじめて慣性力を登場させるのかと云うと、ちょっと、表現が悪いが、
ダランベールの云うように ”外力と慣性力が釣り合っているのに加速する” なんてことは許せない。 ただ、物体と共に加速度運動する観測者にだけは許してやろう。 なぜなら、その観測者だと物体は静止して見えるから。
と云うわけだ。
ところが実際には、別のページで述べたように、相対論的効果が無視できる範囲では、力は観測者の座標系によって変ることは無いんだ。 
 たとえば 前の図5で、座っている乗客に働く力は、地面を基準にとって見れば、電車に固定された座席に背中を押されて、前方に加速させられたとき生じる”慣性抗力”であり、また加速する電車を基準に取っても、同じ大きさの慣性力だ。 何ら変わるところはない。 全く同じ慣性力だ。 それをあたかも、加速度系になると突然現れる力と考えるのはおかしな話だよ。
 また、円運動の場合でも、わざわざ加速度系を登場させなくとも、地上の観測者の立場でも、円運動と云う加速度運動に伴う”慣性抗力”(=円の中心方向に運動量ベクトルの向きを変化させようとするのに抗する慣性抗力)として、”遠心力”がちゃんと発生しているのだよ。
ホームズ: なるほど、そうなのか。やっと分かってきました。
 加速度系を使わなくても、慣性力はちゃんと存在するんだ

ワトソン: そうだよ、 わざわざトリッキーな加速度系を持ち出して、慣性力の説明をするものだから、あたかも、慣性力はみかけの力だと云う”濡れぎぬ”を着せられることになる。

ホームズ: そうか!   観測者が加速度系に移っても、”本物の力” である  ”慣性力” は全く変わらないものなのに、  あたかも ”みかけの力” のように変わるかのように思わせる、 ” 数学的トリック   に我々は引っかかっていたと云うことか。

ワトソン: その通りだよ、ホームズ君。
 慣性力を”みかけの力”に偽装するためには、慣性系の観測者から見たとき、慣性力は”みかけの力”と同じく、存在しないことにする必要があるんだ。
ホームズ: そうか、”トリック”と云うより、”ペテン”ですね。
ワトソン: 残念ながら、そう云われてもしかたがないな。...
 

ホームズ君による ”トリック” の解説 

だが、さすがはホームズ君、よくそのことに気が付いてくれた。 
 出来たら、このホームページの読者にも、それが分かるように、説明してもらえないか。

ホームズ: 分かりました。任せてください。
 図でこの”トリック”を説明しましょう。

   
                         図  6

上の図は、加速度運動中の列車に乗っている観測者から見た図です。加速度  で運動する観測者を基準にとれば(=加速度系)、窓の外のすべての物体は、−a の加速度で後へ運動するように見えます。 これを質量   の物体には、ma の”みかけの力”が働いたためだと観測者は解釈するわけです。
 つまり、地上にある、山、川、電柱、家、....いやそれだけではなく、地球自身、全宇宙も、それらの質量  に比例した −ma の”みかけの力”によって、観測者の後方へ”みかけの加速度”  で飛んで行くように見えます。
....説明している自分が恥ずかしくなりますが、....いやはや全く、”みかけの力”や”加速度系”というのは”トンデモ”ない 代物ですね。 ...
 いま例示した物体にはすべて、実際にはそういった力が働いていないのは明らかです。  しかし −ma の力の中で、まともな力があります。”実際に加速運動”している物体に働く”慣性力”です。 図では、観測者 に働く慣性力しか示していませんが、加速している列車の座席、つり革、..等、列車全体に働く、後向きの”慣性力”です。
これらは、すべて、ばね計りとかセンサーで、実際に力が発生していることを確かめることができる本物の力です。

      
                         図  7

 さて、今述べたのは”加速度系”での話だったのですが、次に、全く同じ現象を静止系(=”慣性系”)で考えてみます。(上の図 7)
今度は、山、川、家、電柱、...は静止したまま、つまり加速度ゼロなので、先ほどの”みかけの力”は当然ゼロになります。
 これに反し、慣性力の方は何ら変わらず、存在します。 たとえば先ほどの乗客は、座席に押されて、列車と共に加速度運動させられますが、それに逆らう”慣性抗力”として発生します。 これは、先ほどの”慣性力”と全く同じものです。 この力は、たとえば、座席と背中の間に”圧力・センサー”を取り付けたら、加速中は水平方向の押し合う力の増加として観測できるものです。
 このように、”みかけの力”が消滅しても、”慣性力”の方は全く変わりません。
つまり、”慣性力”は”みかけの力”ではないことの動かぬ証拠です。

ワトソン: うーん..さすがはホームズ君。 名探偵”ホームズ”の名に恥じない解説だ。
ホームズ: エヘヘ、..それほどでも。

ワトソン: ”みかけの力”の説明図として、ホームズ君の示した”図 6”が最も適当だ。
 多くの解説では、”図 6”と異なり、”トリックを助けるかのように”、加速する電車の”車内”の図(たとえば、わしの”慣性力の標準的説明”のページのつり革の図等 )を使って説明するものだから、”みかけの力”はあたかも”加速運動している場所(=車内)で発生する現象”だと錯覚させられてしまう。 この誤解が、”みかけの力”と”慣性力”との混同を生む。
 そうではなく、みかけの力とは加速する観測者から見た現象解釈であって、ホームズ君の図 6 を見れば、その正体が、”慣性力”とは、”似て非なるもの” であることに気づくだろう。
 また、すべての”本物の力”は”観測者の運動”によって左右されないこと、観測者を離れて実在すること、をセンサーを使った議論で強調してくれた。
 また、図 6 から ”2種”の力 すなわち ”物体を加速させる外力 と 物体に発生する慣性力 が 逆向きで大きさが等しい” ことが分かるが、これらが 図 7 の力と同じであることから、 逆に、慣性系で、同じ関係、すなわち ”ダランベールの原理”が成り立つことを示している。 ”ダランベールの原理”の意味は、後で説明しよう。
 物理は数式を多用するので、数式だけを追って行くと”物理的直観”が働かなくなって、ホームズ君の話してくれたような、常識的に”云うのも恥ずかしい”ことも平気で、主張しがちだ。

 一般相対論と慣性力 

ワトソン: 慣性力の議論には、実は厄介なことがまだ残っているんだ。
  「一般相対性理論」が”等価原理” すなわち ”座標系を変えることで重力は局所的には消し去ることができる。” 、つまり ”重力場はみかけの力の場だ” と云う原理 を主張している点にある。 これも混乱の原因の1つだ。
上に述べたように、”慣性力”は観測者の座標系によって変わらない。だから等価原理はあくまで”重力はみかけの力である”と云う主張であって、”慣性力は重力である”と云う主張ではない。....とわしは理解している。 もちろん慣性力はみかけの力でもない。
ホームズ: しかし、微妙な差なので誤解を生みそうですね。
ワトソン: そうなんだ。 その上、20世紀の『ニュートン力学』が慣性力を慣性系では闇に隠して、代わりに加速度系で登場させるというトリックを使うものだから、みんな訳が分からなくなる。 実際、わし自身もそうだった。
ホームズ: それに、20世紀の著名な物理学者の多くが、慣性力のことを「みかけの力」だと云っていますしね。
ワトソン: ホームズ君、そうなんだよ。 誰の影響か知らないが、まったく困ったものだ。 皆、権威に弱いから、そう思ってしまう。...  「慣性力」とは”慣性抗力( 慣性抵抗 )”のことであり、先ほどの(4)式の 0 の値を変えると自在に値を設定できる、根なし草のような「みかけの力」とは区別して使って欲しいと思うのだが。... しかし、ゾンマーフェルトやハイトラーのように、わしと同じ意味で「慣性力」を使っている有名な学者もいるが。・・・
  ホームズ君、わしの言っていることは、間違っていると思うかね。
ホームズ: 先生の仰っている方が正しいと、ぼくも思いますよ。  トリックにだまされていたことに、今、やっと気が付いたんですから。
ワトソン: そもそも、単なる座標変換だけで重力という、大規模な力が簡単に発生するなんて、どう考えても信じられない。
ホームズ: だから、見かけの力だと主張しているわけですね。 ...しかし、”等価原理”を、別の意味、すなわち、”座標変換を行うことで、局所慣性系が必ず採れる”と云う意味に解釈することも出来ますよね。
ワトソン: それじゃあ、重力の存在している場所は慣性系ではなく、本当は加速していることになる。
 しかし考えてみたまえ、そうだとすれば、重力中で静止している荷電粒子は、加速運動している荷電粒子と同じということになり、粒子は絶えず電磁波を放出しているはずだよ。 ( 一様な加速度運動・・・相対論の所謂”双曲線運動”・・・の場合には、電磁放射が起こらないとの計算結果があるようですが。..)
ホームズ: うーん、なるほど、...それに、そもそも、重力中で静止している物体でも、実際は加速しているなら、エネルギーがどんどん増加することになりますよね。 逆にエネルギーが変わっていないなら、加速なんかしていないはず。..また、地面が上向きに加速運動しているなら、頭上にある星との距離がどんどん縮まることになりますよね。 一般相対論では、大域的なユークリッド幾何が成立たないとのことですが、・・・それじゃー、例えば、地球と月との距離はいくらかと云う議論ができなくなってしまう。...よく考えると、おかしな話ばかりですね。
ワトソン:  確かにそうだね。 この地面は、実際に上向きにで加速運動しているなんて、信じられないよ。 ちょっと計算すれば分かることだが、1年間こので加速したなら、相対論的効果を考慮しても、光速に近い速度に達してしまうよ。 この地面が!!....
 アインシュタインのエレベータ」(=等価原理)は比喩にしか過ぎない。  アインシュタイン理論は、あくまで、時空の計量についての理論だ 

...蛇足だが、有名な大部の一般相対論の専門書を著した J.L. Synge は、 その本の序文で、『 ”等価原理”は、私には全く理解できない。 理論を生み出す”助産婦”の役目を果たしたことは認めるが、そもそも、観測者の運動 (observer’s world−line )  に依存するものを”原理”として採用すること自体、間違いである。 』 と述べている。
  彼は独自の方法を使った”時空の計量の理論として”一般相対性理論を論じている。  また、内山龍雄氏も”等価原理”については、同様なことを述べている。 
ワトソン: 
 正直なところ、「一般相対性理論」は、いくつか疑問点のある理論なんだ。
等価原理そのものも厳密には成立しない。たとえば時空の曲率を消すことが出来ないので電磁場の存在する場合、厳密には成立しない(内山龍雄 相対性理論・岩波 P162)。 等価原理のために(=一般相対性の仮定のために)、重力場の局所エネルギーが、一般的に定義できない。...等々。
 特に、場のエネルギーを局在化できない点は、場の理論としては、致命的な問題だ。
「等価原理」の存在が重力エネルギーの局在化を許さないんだ。
 

 慣性力は一般相対性理論から導けない。

ワトソン:   しかし、一般相対性理論が”等価原理”を基礎としているので、 あたかも慣性力が重力と同じもので、慣性力は重力理論で説明できるかのように考える人がいるが、 (”等価原理”が正しいと仮定しても)、事実は逆で、 重力の発生機構すら、慣性力の存在に依存している。  その慣性の起源を問われれば、「マッハの原理」を持ち出して、遠い宇宙との相互作用の所為にしている。
 一般相対論がニュートン力学が仮定する「絶対空間」の問題を解決したと主張しているが、「マッハの原理」すなわち、 「宇宙の質量分布で局所的な慣性系が決定される」とするだけで、「ニュートンの絶対空間」を「マッハの原理」に置き換えただけにすぎない。  わしは J.A.Wheelerの「慣性の起原」と称する本を見たことがあるが、慣性力の発生のメカニズムの説明を期待していたのだが、 まったく裏切られたよ。
  そもそも、一般相対性理論がより深い基本理論なら、その慣性力の発生機構も場の局所的メカニズムとして説明すべきだ。  (例えば、電磁気力の場合、近接作用論の電磁気学ではマクスウェルの応力テンソルで、電磁気力の局所発生機構を説明できる。・・・・このメカニズムは別ページで解説する予定です。) 
 慣性力(=慣性抗力)の発生は 重力場の理論 から導けてはいない。 局所慣性系でのニュートンの運動方程式を利用している。・・・つまり慣性力を利用しているにすぎない。( しかも、重力発生のトリックのために。)
 一般相対性理論が正しくとも、正しくなくとも、それ以前に厳然として「慣性力」が実在する。  決して「慣性力」はアインシュタインが発見したものでも、理論づけたものでもない。
 むしろ、慣性力(=慣性抗力)は重力ではなく、”ニュートンの運動方程式” や  また、慣性力の作用反作用のところで述べたように、”運動量保存則” と密接に結びついている。

 強いて、アインシュタイン方程式に関連付けて説明するなら、(この式が正しいとして)

       

その右辺に登場する物質のエネルギー・運動量テンソル(この名は誤解と混乱を与える。 正しくはストレス・エネルギー・テンソルと呼ぶべきである。 このことについては、別ページで解説予定。)の発散がゼロとなること、つまり、通常の物質系内のエネルギー・運動量の保存法則 と関係するだけだ。
 その左辺の時空の曲率に関係する量とは無関係だ。  しかもこの量は桁違いに小さな値である。



 訳が分からなくなったら、次の例を見て頭を冷やそう。
  前のページの図を使うと、キャッチャーの受ける力を”重力”だとか”みかけの力”だとか云う者は居ないだろう。
             

                           図 9

 例えは悪いが、仮に列車どうしが正面衝突をして大事故を起こしたとき、列車が大破した原因は「みかけの力」であって本当には力は働いていない、だとか、「重力」が働いたからだ、と言い張れば、全く「浮世離れした人間だ」と思われることだろう。

 なぜ、アインシュタインは慣性力を見かけの力だと主張したのか

ホームズ:  しかし、なぜ、慣性力が「みかけの力」だなんて、誰にでもおかしいと思われることを、Ein stein をはじめ、20世紀の優れた物理学者達が気づかないんでしょう。、
ワトソン: そうだね、不思議だ。
 『ニュートン力学』があとで話す歴史的理由で、”慣性力”の存在を隠した。
 たぶん、これがEin stein にとって好都合だんたんだ。 なぜなら 曖昧に隠してしておけば、上のような「通常の慣性力」が発生するメカニズムを一般相対論で説明せずに済むからね。
ホームズ: 本当ですか。
ワトソン:  そもそも、”一般相対性理論”は、ニュートンが”絶対空間”すなわち慣性系のもとになる絶対的に静止した空間を想定したのを、否定するために、Ein steinが構想したものだ。
 だから、加速度の値を決める絶対的基準はない。
 例えば、ホームズ君の 図 6 の列車の加速度の絶対的な値は分からない。
 ただ慣性力の大きさだけが物理的に測定できる。 彼はそれが”重力”だと考えた。
 つまり、加速度の代わりに”重力場”が存在すると考えるわけだ。 だから、図 9 のキャッチャーの受ける慣性力も重力場が発生したことになる。
ホームズ: とんでもない理論ですね。
ワトソン: だから重力以外の”一般の慣性力”には触れて欲しくなかった。
 それらの力は本来、”ニュートンの第2法則運動方程式)”と、”作用反作用の法則”で処理すべきものであり、(正式の力ではない)”見かけの力”であると。
ホームズ: 数学的にはそれでよいのかも知れませんが、...少なくとも物理的ではありませんね。
  ”通常の慣性力”は曖昧に誤魔化しておいて、重力だけは、正式の”慣性力”ですか??
  それはないでしょう!...。
  ...しかし、その話は本当ですか。
ワトソン: たぶんね。
 わしが、勝手にそう想像する訳は 、Ein stein は晩年まで、一般相対論から、ニュートンの運動方程式を導く試み、つまり「通常の慣性力」導きだす努力を続けていたが、 もちろん、成功してはいない。

 慣性力の深い意味 

 
ワトソン: とにかく、このように通常、我々が経験する慣性力は”重力”でも”みかけの力”でもない。
慣性力”は”運動量や運動エネルギーの分身”で、逆に、力学の中心的存在だ。
また、”ダランベールの原理”の意味する内容が誤解されている。
 力の静的つり合いではなく、外力で加速運動する際の加速度に対する物体からの”応答”が”慣性力”で、
 いうなれば、慣性力−maは”運動量や運動エネルギーの変化の代償”として現れたものだ。
 この原理は、
   ”力学現象では慣性力を介した動的バランスが成り立っている。”
と云う意味だ。
 この”バランス”は静的な釣り合いではなく、収支勘定の”バランス”で、”正確な受け渡し”を意味しているんだ。 すなわち加速度運動の際に”慣性力を介して、エネルギーや運動量を他系へ正確に受け渡す働き”をしている。
 ”慣性力がないと、運動エネルギーや運動量の受け渡しすら出来ないんだ。”
ホームズ: すみません、仰っていることがさっぱり、わかりませんが。
ワトソン: 力学的エネルギー保存則と慣性力の関係の詳しい話は、別ページ「慣性力とエネルギー保存則」でするから、それまでお預けだ。

 ところで、ホームズ君。
 また、この慣性力は、歴史的には、ニュートンの死後、後継者達が数学的に整理した形の いわゆる『ニュートン力学』を作るにあたって、切り捨てられた ”インペートゥス”でもあるんだ。 (「インペートゥス」につては、別ページ「運動についての、常識概念」のHestenesの論文(PDF)を参照 )
しかし、”亡霊”ではないぞ。 ”実在する力”だ。 力学現象の根幹を担う重要な働きをする力だ。
 慣性系で物体が加速運動するとき必ず出現しているにもかかわらず、名前も付けてもらえず、見て見ぬふりをされている。
そして、加速度系と云う舞台に、やっと登場させてもらえると思ったら、かわいそうに、”みかけの力”と云う汚名を付けられ、”道化役”を演じさせられる。...ニュートン以前は力学の花形・主役だったのに....幾何学化という無味乾燥な理論の犠牲になってな。..
..実に、不憫だとは思わないか。 ホームズ君。..

ホームズ: 先生、どうかされたんですか。
ワトソン: ハハ、ハハ..すまん、ちょっと慣性力に感情移入しすぎたようだ。..

 歴史的な事情 

ワトソン: ニュートンやその後継者達が”インペートゥス”を抹殺しようしたのは、中世の”思弁哲学的科学”、つまり”言葉だけを使った曖昧な理論”と決別するためだ。
 ニュートンの有名な言葉に 私は、仮説を立てない。 があるが、その”仮説”とは、”科学と仮説”のそれではなく、”憶説”つまり、現象を説明するために考え出した証明も出来ない思弁的な学説のことだ。 ニュートン以前の中世では、そんな学説ばかりが幅を利かせていて、どれが正しいの分からない、混乱の極みだった。 ーーーこのニュートンの言葉は万有引力が生じるメカニズムについて問われたとき、当時の思弁的な憶説を退けて、数学に立脚した自らの立場を表明したものである。ーーー
 ”曖昧な言葉”に代る手段として、彼は”ユークリッド幾何学”をまねて、公理、定理からなる「力学」を作りあげた。
  当時、F.ベーコンが提唱する新しい”実験科学”が勃興していた。そして、そのサークルが”ロンドン王立協会”だ。そのメンバーでもあった彼は、”数学”という”言葉”を使った別の形の”新しい科学”を作りあげようとしたんだ。
 そのため、”中世的”な概念を出来るだけ削ぎ落とそうとした。 こう云う歴史的な事情で、彼は、中世の”インペートゥス臭”のする”慣性力”が理論に登場しないように作ったと、わしは想像している。 その証拠に前ページで紹介したように、プリンキピアの冒頭の定義集では、明確に”慣性力”が存在することをニュートン自身は認めていたことが分かるが。・・・・ 
ホームズ: ええ、そうですね。  あれを読むと、ニュートンは、”慣性力”が実在するのを充分に認識していたことが分かります。 それにもかかわらず、中世の”インペートゥス説”と決別するために、また、彼の"幾何学的力学”の論理を首尾一貫させるために、あえて”慣性力”を切り捨てたということですね。

ワトソン: ニュートン自身はまだ明確ではなかったが、特にその後継者達が数学的に整理した、いわゆる 『ニュートン力学』ではそうだ。 そのため、「慣性」の概念すら、非常に狭義の幾何学的な「慣性の法則」のかたちでしか登場しないようになっている。 つまり、外力が完全にゼロの場合に限った慣性の法則 「力が働かない限り、物体は等速直線運動を続ける。」だ。 力がゼロでなくても、運動を保とうとする傾向としての「慣性」が存在するにも係わらず、全くそれには触れない。
ホームズ: ええ、以前から、ぼくもそのことが不思議でしょうがなかったのですが。
ワトソン: 触れることは「タブー」なんだ。 なぜなら、その広い意味での「慣性」を扱おうとすれば、おのずと「慣性力」が登場してしまうからだよ。
ホームズ: なるほどね。
ワトソン: だから、本物の「慣性力」が登場する場面では、それを、ニュートンの第2法則 F=ma の話に置き換えて、慣性力を無視するわけだ。
ホームズ: 確かに、加速度運動の場合は、慣性力を使わずに、代わりに 運動方程式を適用して、あたかも慣性力が生じていないかのように、問題を加速度運動という、「運動学的」、先生の表現では「幾何学的」な問題にすり変えているわけですね。
 これで、「慣性の法則」「運動の法則」を含めて、力学の問題すべてを、「慣性力」を排除した、「幾何学問題」に置き換えているのですね。

生徒の”誤概念”は誤概念ではない

ワトソン:  その通りだ。 しかし、その時代には、知られていなかった、エネルギーやその保存則、そして、電磁気学、場の概念..等、豊かな概念(これは憶説ではない)が生まれた今の我々の時代に、「ニュートン力学」を当時の約束のまま、つまり慣性力を無視した形で、反省もなく使い続けるのはどうかと思うのだが。...
ホームズ: 確かに、”慣性力”に関しては、先生の指摘された矛盾もありますしね。
ワトソン: その通りだ、これが、私の別ページで指摘したように、物理教育上、我が国だけでなく、世界的に見ても、大きな障害になっている。 だが、ほとんどの教師は、生徒の誤認識・”誤概念”だとして、看過している。
 物理教師と生徒との感覚のずれの大きな原因は、物体も”質点”という、幾何学的な”点”で表わし、力も”遠隔作用”として、幾何学的に(=物体間の相対的な位置で)決まる力という 『ニュートン力学』の理論の所為だ。
 この”幾何学的な質点”と”幾何学的な力”が、”現実感覚”から遊離した”数学的な抽象世界”へ導いてしまう。 これが、教師を慣性力の存在について鈍感にしている原因だ。
ホームズ: なるほど、”質点や遠隔作用”では、慣性力がどう働いているのか、感覚的に全く掴みようがないですね。
 その点、生徒の方が、"現実感覚"を持っていますからね。
ワトソン: その通りだ。

 それに加えて、”作用反作用の法則”を数学の公理のように、それ以上考察する必要のない、ニュートンが発見した、”アプリオリな法則” とみなしていることも問題だ。
 作用反作用の法則が、連続体や媒質の力、すなわち近接作用の力に由来することを忘れている。
 もっと、現実の連続体に働いている力を分析すれば、”ベクトル”以前の”テンソル力”としての”力の本質”や”慣性力の存在”に気付くはずなんだが。

 以前に述べた、別ページ(力はベクトルか?「近接力入門」)の説明を繰り返すと、

    
            図 8a                             図 8b

 手で物体を押して、加速する場合を考えると(図8a)、このとき物体には、外部から押された力により物体が歪み、内部に応力が発生する。 この応力は図8bのように、手に近い側ほど、その強度は強く、反対側の端に近い所ほど弱くなる。そして、その先端では 0 になる。 これは、なぜかと云うと、加速により、物体内各部分に加速度と逆向きに慣性力が働き、各部で図 9 ように、応力と慣性力のバランスが成立するからだ。( m は、小部分 A の質量 )

            
                         図 9

 ここで部分 A に注目すると、A の受ける力は、両端からの応力の差 FB - FC と 慣性力 −ma で
 これらの間で、バランス(ダランベールの原理)が成り立っている。

     FB − FC − ma = 0

 その結果 図 8b のような応力分布が生じるわけだ。
もちろん、その結果、図 8b の左端で、手の押した力 F と 物体に生じた慣性力の総和 −Ma (Mは物体全体の質量) とがバランスしていることになる。 このように、慣性力は、ちゃんと存在している。
 上の議論は、力の関係だから、観測者が「慣性系」に居ようと、物体と共に「加速運動」して居ようと成り立つ。
 また、応力が弾性体の変位(変形度)に比例することを考えると、図9から、動的な弾性体の波動方程式も簡単に導ける。

重要なことは、
 力は観測者の座標系に無関係であり、 力は物体の歪の大きさで測定出来る”REAL”な量(実体)である。

 ( 詳しくは 近接力についての別ページを参照。

以上のことから、
  教師が、慣性力を ”単なる反作用だ” と片づけて、平気でいるとすれば、これはむしろ物理教育の反省すべき重要な課題と云えるだろう。

ワトソン:  ただ、この障害は、教師が、一言、

  「実際は”慣性力”は実在するんだが、『ニュートン力学』では、運動方程式を立てるにあたっては、注目している物体自身に生じる”慣性力”は無視する”ルール”になっている。」

 と、正直に生徒に説明すれば、解決する問題なんだが。..また、慣性力の説明に、加速度系をわざわざ持ち出す必要もない。 「観測者が加速度系に移ることにより、力は変化する」 と云う ”嘘” を教えることになってしまう。
 それなのに、むきになって、”遠心力”などの”慣性力”の実在性を否定して、「みかけの力」であると強弁することは、滑稽でもあり、真剣に考えている生徒に、”物理は難しくて、分からないものだ”、と思われる結果となりかねない。
ホームズ: なるほど。確かにその通りです。
 しかし、物理の基本法則を”ルール”と呼ぶのには、抵抗がありますね。
ワトソン:  ウーン、.. 慣性力を無視した『ニュートン力学』は大成功をおさめたため、それが絶対・不可侵な唯一の理論であるかのように思われているようだが。  しかし、丁度、山の頂に登る道は1本ではなく、何通りもあるように、「慣性力」を考慮に入れた別の理論体系も存在する。
 それが、後で述べる「解析力学」だ。
 だから、慣性力を無視するのは、『ニュートン力学』のルールに過ぎない。
 その証拠に、前ページで指摘したように、2物体の衝突では、相手の物体の慣性力を無視することは不可能だ。
ホームズ: 確かに、どの物理の教科書を読んでも、ただ単に、衝突する物体間に作用・反作用の関係が成り立つ瞬間的な”大きな力”が働くとしか書いていなくて、その力が生ずる原因の説明を避けています。 そして、すぐ”力積”の計算に移っていますね。
ワトソン: 衝突の際、双方の物体は互いに自分に生じる慣性力を相手に及ぼしている。そのため衝突の際の詳細な説明は省かざるを得ない。 慣性力を無視したニュートン力学は、理論体系として、不完全なんだよ。
 もし上述の生徒への説明の表現がマズイなら、「実は、”ニュートン力学”と同等な、慣性力を考慮した別の力学体系もあるんだよ。」と付け加えて、”ダランベールの原理”を基にした力学体系の存在を生徒達に示唆するのが、よいかも知れない。

  ”ダランベールの原理” ついて 

ワトソン: ところで、このホームページの読者には、わしの言っている内容が、まだ異端的な主張の様に聞こえるかも知れないので、老婆心ながら、ここで、、一言付け加えて置きたい。
ホームズ: ええ、是非聞かせてください。
ワトソン: まず第一に、ダランベールの原理の式 ma = 0 と ニュートンの運動方程式 ma = F とは、式の上では全く同じなので運動を計算する上では変わらない。 (ちなみに、変分原理から導かれるラグランジュの方程式は、前者に対応する。) ただ、両者の式の解釈が異なることだ。
 ニュートンの運動方程式では、”力によりどのように運動が決まるのか”、に注目するのに対して、ダランベールの原理では、その”運動の際、どのような力の関係が成立しているか”に注目する。
 この場合、物体に生じる加速度 の値がどうして決まるかと云うと、「外力 と、物体に発生する慣性力ma が逆向きで大きさが等しくなるような値  に達するまで物体が加速される。」 ということだ。(この因果の順番は単に分かり易くするための説明であり、実際には同時=瞬時に加速運動が起こる。) また、加速度運動を引き起こすのは、あくまで外力だけであり、慣性力はその応答だから、静的な力の釣り合いでは勿論ない。  いわゆる力の釣り合いは慣性力 −ma がゼロ、(つまり加速度  がゼロ)で、外力  の和=0 の場合である。
 また、外力が釣り合わない場合には、 それを補う”ように慣性力の発生する加速運動が起こる。
 これは、”力の連続性”や ”作用反作用の法則の意味” と密接に関係している。← 別ページ”近接力について”を参照。
 つまり、 外力のアンバランスが運動量変化に転化すると共に、慣性力の発生により、力のバランスを保っている。 

 ダランベールの原理を、もっと感覚的に理解するには、前ページに挙げた図(右の図)が適当だ。  もし、力を加える相手がボールでなくて、軽い ”のれん”だったら、力一杯押すことが出来るだろうか。
ホームズ: いくら怪力の持ち主でも、”のれんに腕押し”のたとえ通り、いくら頑張っても大きな力は出ませんよ。
ワトソン: どうして、出ないことが分かるのかね。
ホームズ: 右図の、手ごたえ(=反作用)がほとんど、返って来ないからです。
ワトソン: そうだね、つまり、我々は経験から、「実際に出した力の大きさ=手ごたえの大きさ」 が成立すること、つまり 「作用・反作用の法則」 を知っている訳だ。 この”手ごたえ”つまり慣性抗力 と加速させる外力が逆向きで大きさ等しいこと、すなわち”ダランベールの原理”は我々の経験から素直に理解できることなんだよ。
ホームズ: なるほどね。

現代物理学の基礎は”ダランベールの原理”が起源

ワトソン: ところで、ホームズ君、現代物理学の基礎は量子力学だが、その理論は、ニュートン力学から発展したものと云えるかね。
ホームズ: ウーン、そうとも云えますが、...しかし、むしろ解析力学でしょうね。
ワトソン: そうだね、量子論はすべて、解析力学的概念を用いて表現されている。
 その解析力学の基礎はハミルトンの変分原理で、それは「ダランベールの原理」「仮想仕事の原理」から、つまり、「運動は常に外力と慣性力がバランスした、平衡状態として実現する」と云う原理から、生まれたものだ。 決して「ニュートン力学」の単なる延長ではない。
ホームズ: そうか、現代物理学は、「ニュートン力学」ではなく、慣性力を含む「ダランベールの原理」を基礎に生まれたのか。
ワトソン: だから、わしの今までの議論は決して異端的なものではないことが分かるだろう。 むしろ、現代物理学の直系の先祖の話だ。 
 また、解析力学では、ダランベールの原理と云う”力の平衡状態”を基礎にしているから、直線座標に限らず、任意の曲がった一般化座標”でも”仮想仕事の原理”が成り立つわけで、特に複合物体では、(ニュートン力学のように内力を考慮せずに、)系の自由度に対応した”一般化座標”を元に運動方程式を立てられる。例えば、”はずみ車”を例にとれば、回転角という自由度に対応した議論ができる。すなわち回転の「慣性」だとか、回転の「慣性力」とかが素直に扱える。
ホームズ: なるほど、はずみ車は、一度回り始めると中々止まらないですから、確かに”慣性”を持っていると云えそうですが、『ニュートン力学』では、力を受けないで永遠に回り続けても、「回転運動の慣性の法則」とは云わないですね。
ワトソン: そうだよ、生徒にとっては、直線運動の慣性の法則より、はずみ車の慣性の方が馴染みがあり、デモ実験もしやすい。 慣性の意味がより分かり易いと思う。 実はニュートン自身も「慣性の法則」の説明で、回転し続ける「コマ」を例に挙げているのだ。 しかし、『ニュートン力学』では、「慣性の法則」を直線運動のみに限定しているので、残念ながら、それを具体例として取り上げられないんだよ。...
 
 また、解析力学が広範囲の力学現象に適用できることから、逆に、力の平衡状態の原理(=慣性力の存在とダランベールの原理)が、自然界の”真実”であることが分かるだろう。
 解析力学は、仮想仕事の原理の拡張である「変分原理」を使った、エネルギーの原理 すなわち、2種の力、慣性力と外力(ポテンシャル力)間のエネルギーのやり取りに関するエネルギー保存則 を使った多自由度系の力学である。
 ラグランジュ関数 L が  (運動エネルギー) −   (ポテンシャルエネルギー) となるのは、この両者間のエネルギーのやりとりの均衡(バランス)を表現するからだ。  
 単一のスカラ関数であるラグランジュ関数ではあるが、仮想変位を使うことにより、多自由度の力学系が扱える。 
 重要なことは、”慣性力に対する仕事が運動エネルギーとして保存される”。 つまり、時間積分を考えると、慣性力は一種の保存力とみなせることだ。
 (これらについては、別ページを参照して下さい。)
 これらが分かると難解と思われる解析力学も、理解できるようになる。
 逆に云えば、作用積分の変分がゼロになると云う”作用原理”が、あたかも神秘的な法則に思えるのは、ダランベールの原理を充分に理解していないせいだ。
 慣性力を無視した伝統的な『ニュートン力学』で、解析力学を解釈しようとするのは、無理がある。

 しかし、残念ながら解析力学の教科書の著者でさえ、「ダランベールの原理」に半信半疑で、単にそう考えると都合がよい「便宜的な原理」だと考える始末だ。 そのため、説明が拘束条件に拘泥し、デカルト座標から一般化座標のラグランジュ方程式を導くのに、多大な労力を費やしている。
 ダランベールの原理が「力の平衡状態の原理」であり、「慣性力が運動エネルギーに対応する保存力である」ことさえ分かれば、簡単に理解できる話なんだが。・・・
 力学は解析力学の誕生により大きく進歩したにも関わらず、根本の慣性力の実在性が広く認識されていないのは不思議だ。
 現代の我々は物理現象をあたかも、数学的世界における現象のように捉えて、以前にも増して、より形式化・硬直化している。 そのため、数学的に表現されたものは、一体何なのか。絶えず「物理的に」どう解釈すればよいのかを考える努力が我々に求められている。 もっと、「物理的直観」を養い、訓練する努力が必要だろう。

 解析力学の解説は項を改めてすることにして、ここでは、これ以上の説明はやめておこう。

ホームズ: ウーン、難しい話ですね。
ワトソン:  話を初等的な力学に戻すと、慣性力を無視した”ニュートン力学”では運動量や力学的エネルギーの保存則を成り立たせる、重要な基本メカニズムを見えなくしているんだ。.....教育的観点からは、この事の方がより重要だ。
 それについて、話したいのだが、今日は遅いので、続きは別の機会にしよう。
(別ページの 「慣性力とエネルギー保存則」 を参照下さい。)

ホームズ: うーむ、残念ですが、しかたがありません。 それじゃー、次回を楽しみしています。
 今日は長時間、僕の質問につきあっていただいて有難うございました。 大変勉強になりました。
ワトソン: わしの方も、ホームズ君のおかげで頭の整理ができたよ。


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