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GPS考古学序論




筋違道の謎を解く


第0章 序論

第1章 筋違道入門

  

第2章 筋違道のなぞ

   

第3章 GPSデータの解析

   

第4章 安堵町以北の解明

   

第5章 安堵道と三宅道の接続の解明

   

第6章 多以南の道の解明

   

第7章 上宮への道(磐余道)



数奇な運命の一本木と駒繋ぎの石


太子道(筋違道・すじかいみち)の謎を解く−−−筋違道の研究

 別稿   四国に渡った”駒つなぎの石”

 

 駒つなぎの石に会いに行く


   話を聞いてから1年余り後、桜花の咲く4月、徳島行きの高速バスと定期バスを乗り継いで、安楽寺を訪れた。
 四国八十八ケ所第六番札所である。 温泉の出る札所として有名な寺であるらしい。
 満開の桜に迎えられて、山門をくぐると、

       
                         安楽寺 山門

      
                         満開の桜と多宝塔

      
                           お遍路さん と 桜の境内

       
                              これが本堂

   本堂横の書院風の建物の前に、堂々たる巨石が横たわっていた。
  見覚えのある駒つなぎの石であったが、こんなに大きなものだったのか、と改めて驚いた。
  石の頂部には浅い穴がくり貫かれ、そこに大きな柱状の石がはめ込まれていた。
  たぶん馬の手綱をここに結わえたのであろう。
  下の巨石はかなり背が高いが、大きな馬をつなぐにはこの位の高さが必要かも知れない。

    
        後ろの建物は伝統ある書院風の方丈  ここに一本木で彫られた不動明王が祀られていた


    
                    手前にあるのは源泉井戸
 
    
       ”お遍路さんと駒繋ぎの石”  方丈左横には(弘法)大師堂がある。本堂側から写す


 すぐそばの説明板には、”聖徳太子の駒繋石と一本木大楠不動明王の由来”と書かれ、縄文以来の遍路修行と聖徳太子の和の精神と空海の思想の根底での一致を述べて、修行者の道標として欲しいとの哲学的文が書かれていた。
     


   前もって連絡していたので、寺務所には畠田住職さんが待っておられた。
 学者風の穏やかな方で、早速、寺の中を案内して頂いた。 
 本堂横の由緒ありそうな書院風の方丈に、案内された。
 大きな畳の部屋で奥が一段高くなっている。阿波の蜂須賀公がこられたとき、お座りになられた所だそうだ。
 その上座の奥に大きな漆塗りの台座が置かれ、あの一本木から彫られた不動明王像が二人の童子を従えて立っていた。
 高さ1m程の像で、古木から彫られたとは思えないほどきれいな木肌を保っていた。
 その像は丁度畳の部屋を隔てて、外に置かれた「駒つなぎの石」の方を向いている。
 一本木と駒つなぎの石の縁を配慮して頂いた配置である。
 台座には、川本家で祀られていた「弘法太子像」も置かれていた。

    
        阿波の蜂須賀公が座られたと云う一段高い座敷の奥に一本木不動尊が祀られていた。


     
            一本木から彫られた”一本木楠不動明王”が”駒繋ぎの石”の方を向いて立っていた

  寺務所でお話を伺った。
 最初は引き取りを断っていたが、再三再四お願いに来られたので、引き受けざるを得なかった。
 石は「道祖神」ではないかと思っていると云われたので、私は筋違道の話をして、太子道の貴重な遺物であることを説明した次第です。
 ご住職は、四国遍路の歴史を研究をされている方で、修験道と遍路修行は同じものであるとか、私の疑問に丁寧にお答えいただいた。
 大変勉強になる旅であった。


    後日、安楽寺の畠田ご住職から、きれいな押し花入りの和紙に書かれた手紙をいただいた。

      

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